読み込み中...
-- SNS Share --
LINEで送る

  • 魚釣り競争
  • 迷い子




「魚釣り競争」

文:中条ローザ




印岐島の浜辺で「俺たちの舟」を囲んでいると、カズヤは浮かない顔で呟いた。

「俺さあ、親父から毎日ふらふらしてるんじゃねえってどやされてんだよなあ」

水軍に並々ならぬ憧れを抱いていたカズヤが発起人となり、幼馴染であるナギサと、咎人として流されてきたミナトを巻き込んで、たった三人の印岐水軍を立ち上げたばかりである。
打ち捨てられた小舟にあれこれ工夫を凝らして修繕し、広い海に託した夢を語り合うひとときは楽しかったけれども、漁師であるカズヤの父からしてみれば「そんな遊びにうつつを抜かしていないで家業を手伝え」と言いたくなるらしい。

「ほら、俺んち弟や妹が多いだろ。おまえが一番上なんだから家族を食わせるために働けってさ」

長男なんて損な役回りばっかりだぜ、とぼやくカズヤに、ナギサが同調する。

「カズヤのお父さん、おっかないもんねえ。僕も悪友扱いされて怒鳴られちゃうかなあ」
「親父、最近焦ってるみたいなんだよ。どんどん昼が短くなって、漁に出られる時間も減ってるだろ。だからさ……」

カズヤとナギサ、そしてミナトは一様にうつむいて黙り込んだ。そう――日ごとに昼間が短くなっている。
季節による日の長さの変化と言うには到底説明がつかないほど顕著に、そして急激に。理由は誰も分からない。
風の噂では、播磨や丹波や近江といった和ノ国本土は完全に昼が失われ、人の世は闇に閉ざされてしまったという。
いまはまだ印岐島には短いながらも昼があり、こうしてミナトたちはまばゆい日差しの中で語り合ってはいるけれど、いずれは本土と同じように――。

「なあミナト、ナギサ。魚釣り競争しないか?」

重苦しい空気を払うように、カズヤがいたずらっぽい口調で言う。
陽気で溌溂としたカズヤの笑みは、沈みがちな雰囲気を瞬時に明るく変えてしまう力を持っている。
そんなカズヤに、ミナトもナギサもこれまでどれほど元気付けられてきただろう。ミナトは、カズヤの提案に乗る形で肯いた。

「いいね。ちょうどオレ、お腹空いてきてたんだよ」
「今日こそ僕とミナトで、カズヤよりたくさん釣ってみせるからね!」

魚釣り競争なら、舟の修繕や水軍の修練中に、これまで何度もやってきた。
カズヤに言わせると「海の男たるもの自分の食糧も海から調達できるようになるべし」だそうだ。
単に釣るだけでは面白くないからと、ミナトとナギサの二人組がカズヤに対抗するという勝負形式だ。
むろん、たくさん魚を獲ったほうが勝ち。とはいえ、体を動かすことが苦手なナギサと、釣りの経験がなかったミナトが束になったところで漁師の子であるカズヤに勝てたことは一度もない。

「諦めろって。この俺に勝とうなんざ十年早いっての」
「そうかなあ。最初のころに比べたら、オレもナギサもだいぶ釣りが上手くなってきてるけど」
「そうだよっ。僕とミナトで、いつか絶対カズヤに勝ってみせるから」
「へへっ。そんなに言うなら、ミナトとナギサに有利な条件つけてやるよ。そうだな……どんな手を使ってもいいってことで」
「どんな手も? ほんとにほんと? 嘘じゃない?」
「ああ。男に二言はない」

よほどの自信の表れなのだろう。カズヤは余裕の笑みを浮かべている。
せっかくの好条件をどう活かそうかとミナトとナギサが相談していると、レイジとゲントが連れ立ってやってきた。

「三人とも、ここにいたんですか」
「どうしたよ。なんか揉めてんのか、おまえら」
「レイジ、ゲント! ちょうどいいところに! 僕とミナトの助っ人になって!」
「助っ人だあ? 俺とレイジが? なんのだよ?」
「カズヤとの釣り競争だよ。カズヤより魚をたくさん獲れば勝ちなんだけど、オレたちずっと負けてばっかりなんだ。くやしいから、レイジとゲントの力をオレに貸してほしい」

侠客らしい義と情の篤さを持つゲントには、頼りにしているという訴えが効くはずだ。
案の定ゲントは、ふたつ返事で肯いてくれた。

「よっし、任せとけ。俺がミナトの釣果を増やしてやる」

ゲントがミナトの助っ人を引き受けたのを見たナギサは、まるでその気のなさそうなレイジを口説きにかかる。

「お願い、レイジ。僕の助っ人になって」
「嫌ですよ、くだらない……」
「だってミナトにはゲントが付くんだよ? ミナトばっかりずるい。ねえ、レイジ、お願い」
「……しょうがないですね」

かくて、四対一の魚釣り競争が始まった。魚を獲る方法も、五人で各者各様だ。
慣れた手つきで投網を打つカズヤ。
魚を待つのは俺の性に合わねえ、と鎧通しを銛代わりに素潜り漁をするゲント。
以外にも釣り竿で淡々と成果をあげるレイジ。ただし釣り上げた魚はどれも小さい。
手製の小さな掬い網で浅瀬にいる魚を捕らえるナギサ。
そして、釣り糸を垂れるものの流木やら海藻やらを引き上げてしまうミナト。

「そろそろ暗くなってきたから、この辺で終わりにしようぜ」

早すぎる夕暮れに急かされるように勝負を切り上げ、おのおの釣った魚を持ち寄った。
結果、カズヤの圧勝である。

「あ~あ、やっぱりカズヤの勝ちかぁ~」
「せっかくオレにはゲント、ナギサにはレイジが付いてくれたのになあ」
「いくらカズヤ相手でも、四対一なら僕らが勝つと思ったのに」
「ふふん。だから言ったろ、十年早いってよ」

くやしがるミナトとナギサへ、ゲントが腑に落ちないような表情で問いかけてきた。

「ところでよ。そもそもなんで魚釣り競争なんざやってたんだ? 勝つとなんかいいことでもあんのか?」

ミナトとナギサ、そしてカズヤは一瞬答えに詰まる。
今日の釣り競争のきっかけは、世界が闇に閉ざされてゆく不安を紛らわそうとしたためだ。
しかし、それを口にしたくなはない。
口にすれば、不安はよりはっきりとした形をもってミナトたちの前に立ちはだかってしまいそうだから――。

「……なんでだったっけ、ナギサ」
「忘れちゃったよね」

――だから、とぼけることにした。
ゲントが脱力し、レイジがあきれ果てているけれども、それでいい。
いつ終わってしまうともしれない穏やかなひとときに浸っていたい。
いまだけは。
この仲間たちとともに。

「そんなことより、ほら、俺が魚さばいてやるから、火を熾してくれよ。活きのいいうち食っちまおうぜ」

カズヤが次々とさばいてくれる魚を焼き、全員で火を囲みながら食べる。
海の恵、その美味さに舌鼓を打つ。思うことは、きっと、みな同じだ。
この穏やかな時間が、いつまでも続きますように――と。



「迷い子」

文:中条ローザ




これは、ミナトが須佐之男命の、カゲロウが天照大御神の巫子に選ばれる前の話。
やがて自分たち兄弟に振りかかるであろう数奇な運命を知る由もなかったころ――。

……
………
…………

人里から幾分か外れた道の両脇には、丈高い芒の穂が秋の陽射しを受けて銀色に輝いている。
このあたりまで来れば、村人の目も気にしなくて済みそうだ。溜息のひとつくらい、ついてもいいだろう。

「ふう……」

ミナトは立ち止まり、ずっしりと重い籠を背負い直した。

「さっきの集落で最後だよね、カゲロウ兄さん」
「ええ、そうです。日が暮れる前に神社へ帰りましょう」

朝早いうちに山の上にある神社を出て、麓にある氏子たちの集落を巡り終えたところだ。
背負い籠に詰まっているのは、この秋に収穫されたばかりの米。
霜月の二の卯の日に宮中で行われる新嘗祭に合わせ、和ノ国中の社でも新米が神前に捧げられる。
ミナトとカゲロウが身を寄せる神社でも同様の神事が行われるため、若い兄弟が高齢の宮司に代わって寄進の米を集めて回ったのだった。

「それにしても、けっこうな量だなあ。オレ、肩が痛くなってきちゃった。カゲロウ兄さんは大丈夫?」
「なんともありませんよ」

そう言ってカゲロウは微笑んでみせる。
が、カゲロウの籠には、ミナトの籠の倍近い米が入っているのだ。重くないはずがない。
カゲロウの襟元からは、肩に籠がきつく食い込んで擦れた紅い痕が見え隠れしているのだから。
けれど、たとえミナトがカゲロウの肩についた擦り傷を指摘して、荷の重さを平等にしようと言ったところで、きっとカゲロウは「ミナトは気にしなくていいんですよ」と答えるだけだろう。

――兄さんは、いつもそうだ。

カゲロウはいっさい弱音を吐かない。つらそうな顔を見せない。
いつでもミナトをかばい、気遣い、労苦を多く引き受け、そしてそのことを隠そうとする。
幼かったころのミナトは、そんなカゲロウの「見たまま」を信じていた。
兄は誰より強く、なにがあっても「大丈夫」なのだと頼もしく思い、甘えていた。

――本当は、そんなわけないのに。

ミナトは数えで十三になった。まだ大人とは言えないが「見たまま」を信じ込むほど幼くはない。
もう、気が付いてしまうのだ。カゲロウが痛々しいような覚悟と忍耐力で、ミナトの保護者たらんとしていることに。
しかし、カゲロウとて当年十五。ミナトより齢上には違いないが、やはりまだ大人ではない。

――兄さんに子供時代ってあったのかな……?

ミナトの記憶の中のカゲロウは、十三のときも十のときも七つ八つのときでさえ、変わらず強く頼もしい兄だった。
弱音を吐かず、つらそうな顔を見せず。

――それってオレのため……ううん、オレのせい、だよね。

切なさと申し訳なさで、つい無口になってしまう。
そんなミナトの様子を疲れのせいと見て取ったのか、カゲロウはいたわりに満ちた口調で言う。

「少し休みましょうか。実は、いいものがあるんですよ」
「いいもの?」

カゲロウは懐を探り、竹の皮の包みを取り出した。ミナトの目の前で、包みをそっと開く。

「お餅!?」
「最後に伺ったお宅でいただいたんです」

カゲロウの瞳に、珍しくはっきりとした喜色が滲んでいる。それもそのはずで、餅はカゲロウの大好物なのだ。
ミナトにとっても餅はうれしいが、それよりも、カゲロウが齢相応の無邪気さをあらわにしていることの方がずっとうれしい。

「お地蔵様にお供えしたもののお下がりを炙り直したそうです。焼きたてですから、まだ温かいですよ。さあ、どうぞ」
「いただきます」

ふたつあるうちの、わずかに大きい方を当然のようにミナトへ渡してくれる。
いちばんの好物でさえ、弟に多く譲ることがカゲロウの習いになっている。
ミナトは胸ににじむほろ苦いものを押し殺して、焼き餅にかぶりついた。

「ほんとだ、あったかくて柔らかい。美味しいね」
「ふふ。よかったですね」

真っ白い餅は贅沢品だ。カゲロウは、ミナトが食べるところを満足そうに眺めてから自分も餅を食べようとした。
と、そのとき。
すぐそばの芒の茂みが、風の仕業とは思えないほどに大きく揺れた。猪か狼か、あるいは熊か。
ミナトとカゲロウは無言で目配せをして獣の襲来に備えたが、何者かはいっこうに茂みから姿を現さない。
そういえば獣特有の息遣いも聞こえないし、匂いもしない。
ならば、人か。

「……誰?」

まずはミナトが話しかけてみたが、答えはない。次にカゲロウが話しかけた。
ずっと昔、ぐずるミナトを夜通しあやしてくれたときと同じ、優しく包み込むような声で。

「怖がらなくていいんですよ。出ていらっしゃい」

ややあって、芒の茂みから小さな男の子が現れた。齢は五つか六つといったところか。
身なりからして、近隣の農民の子だろう。

「坊や、どうしたんです? ひとりですか? 親は?」

冷えきった手足をさすってやりながらあれこれ訊き出すうち、どうやら男の子は迷子であると分かった。
きょうだいと一緒に薪拾いをしていて、いつの間にかはぐれてしまったらしい。
帰り道も見失って泣いていたのだろう、男の子の頬には幾筋もの涙の跡がある。

「可哀相に。ほら、お餅をあげますからもう泣かないで。家まで送っていきましょう」

カゲロウは迷いもなく好物である餅を男の子に分け与え、その手を引いて人里への道を引き返していく。
ミナトは、カゲロウと男の子の背中を眺めながら思う。

――同じだ……。

ミナトも幼いころ、カゲロウに手を引かれていた。迷子の男の子と同じように、いつも、どこでも。
カゲロウと手を繋いでいるだけで不安は消えた。守られていると安心できた。
たったひとつしかない山桃や柿を、カゲロウは必ずミナトに与えてくれた。
自分の食べる分など割かずに。自分の心細さなどおくびにも見せずに。

――カゲロウ兄さんは、いつもこんなふうにオレのそばにいてくれたんだ。

男の子の姿が、かつてのミナト自身と重なる。
そしてカゲロウは、やさしくて強くて頼もしい兄なのだった。昔も、いまも変わらずに。
昔と違うのは、ミナトはもう幼子ではないこと。
カゲロウの痛々しいような覚悟と忍耐に寄り添えるほど成長しつつあるということだ。

「カゲロウ兄さん」
「はい?」

カゲロウが振り向く。
これまで一度たりとも、つらそうな表情を浮かべたことのない顔。

「もしもさ――もしも兄さんがオレからはぐれたら、オレが見つけるから」

必ず見つける。
迎えに行く。
カゲロウから与えられてきた無限の安らぎと癒しを、いつか返す。

「迷子になったら、オレを待ってて。必ず兄さんを見つけ出してみせるから」

カゲロウは一瞬、虚を衝かれたような顔をする。しかしすぐに、面映ゆげな微笑みを浮かべて肯いた。

「分かりました。待っていますよ――ミナト」

そのときが来れば、必ず。