人の過去はなにげない日常の中にこそ現れるものなのかもしれない。
 あれはゲイルやマックスたちを知り合ってまだ間のないときのことだった。その日、珍しく、ゲイルに誘われて街に出たからよく覚えている。

「なあ、どこに行くんだ」
「それは着いてからのお楽しみだ。いいから黙ってついてこいって」

 振り返りもせずにそう言うと速度をあげて進んでいく。遅れまいとして自然と足早になる。
 ここは比較的大きな街らしく、ひっきりなしに通りを人が行き来している。
通りを埋め尽くす人、人、人。長く続いた戦乱も一応の終息をむかえ、平穏な日々を享受しているのだろう。
それはそれでいいのだが、こういうときには困る。ゲイルのような強面なら道を開けてもらえるのだが、こっちはそうもいかない。
ゲイルのように前から歩いてくる人間を無言の圧力で蹴散らしながら進めたら楽なのだろうが、これも無理ある。

 結局は、人の群れの中を泳ぐようにして掻き分けながら進むことになる。「やれやれ」
「これがチキュウだったら……。」
平和でもどこかギスギスとしたトウキョウの街。懐かしさと郷愁が胸をしめつける。息苦しく感じるのは人波に呑まれているからだけではない。
 人の流れは相変わらずであったが開けた場所に出たようで、路上で泳ぐまねをする必要はなくなった。
 人々の憩いの場なのだろう。多くの人が思い思いにくつろぐ姿が目に映る。
広場の中央には噴水があり、そこを通り過ぎた微風がかすかに冷やされ、ほてった体に心地良い。

「ゲイル将軍?」

 振り返ると男が小走りに近寄ってくる。一見して町人風の男だが騎士か剣士なのだろうか。腰には重そうな長剣がぶらさがっている。

「おい、あんたを呼んでるぞ。………。おいおいなんだって、あんたが将軍?」

 男の声が聞こえていないかのように先を行くゲイルを呼び止めようとして、その言葉の意味を理解するまでに数秒の時間を要した。
その間に男はおれの横を小走りで通り抜けるとゲイルの前に回りこんでいた。

「やっぱりそうだ。ゲイル将軍、このようなところでお会いできるなんて」

 蒸気した頬が若干の赤みを帯びていた。息もはずんでいるが走ったからではない。緊張しているのだ。
 行くてを遮られる形となったゲイルは不本意ながらも立ち止まらざるを得なかった。腹の前で組んだ右手をあごにやり無精髭をいじりながら相手をねめつけている。
不本意な表情は普段女性には絶対見せないそれだったが、どこか威圧的でもあった。

「兄ちゃん、誰だ?」

 ぶっきら棒な一言。それでも男は気を落とした風でもなくそれが当たり前だというように、

「そうですよね。一兵卒だった私のことなど覚えていらっしゃるわけありませんよね。でも、良かった。偶然ですがお会いできて。あなたのおかげで私は――いえ、私たちは今ここにこうしていられるんですから」

 なんのことだから訳がわからなかったが、どうやらゲイルに恩があるらしい。好青年風の人物に対し、飲んだくれの「エロオヤジ」。
どこにもつながりらしい部分はみえない。“将軍”、それがキーワードなのかもしれないが。
 強いて上げるならばおれと同じように暴漢にでも襲われたところを助けられたのだろうか。風貌や言動に似合わずあれで案外お人好しなところもあるからあなどれない。が、だとすると、“私たち”というのはどういうことだろうか?
 当の本人は一変して表情を崩し、今度は苦笑いを浮かべた。そしていつもの癖で、右手で豪快に髪の毛を掻き毟る。

「悪いな、人違いだ。それなりに生きてりゃ、道端で知った人間に似ている奴に会うこともあるだろうさ。本人が人違いだと言っているんだ。これ以上の証明はあるまい?」

 そう言い残してまた歩き出す。その背中に向かって男は叫んだ。

「旋風のゲイル、あなたなのでしょう?あなたが忘れても私は忘れません。あのとき受けたご恩、決して!」

 男の言葉を背中で受け止め振り返らずに、手を振って合図をする。そしてそのまままた進む。目的の場所を目指して。
 小走りでその後を追う。さっきよりも心持ちペースを落として歩いていたようですぐに追いつくことができた。ゲイルの横に並ぶと、ふと、さっきの男のことが頭をよぎった。

「なあ、さっきの奴のこと、本当に知らないのか?」
「さあな」
「じゃあ」
「言ったろ。それなりに生きてりゃ、似ている奴の一人や二人出会うもんよ」
「だったら旋風のゲイルってのはなんだよ」

 その言葉に一瞬、ゲイルは押し黙り、思考を止める。横顔には戦場で見せる厳しい表情が浮かんでいた。しかし、それもほんの一瞬のことだけであった。

「それこそ、人違いってもんだ。そいつなら三年前に死んだよ」
「死んだ?」
「ああ。だから俺とは別人ってことよ。まあ、気にするな。それよりも、着いたぞ」

 そう言ってゲイルは口元だけをゆがめて笑ってみせた。その表情はいつもと同じように、ひょうひょうとしていた。

「ここは……」

 期待はしていなかったが、そこは案の定というかなんというか、思ったとおりの場所であった。

「こっちの世界じゃ未成年に酒をすすめてもいいのか」
「なに、剣をもって戦場に出りゃ一人前よ。細かいことは気にするな。そんなんじゃ人生楽しめんぞ」
「あんたみたいな楽しみ方はごめんだね」
「ん?それもそうだな。ガッハッハッハッハ!」

 豪快な笑いとは裏腹に、その瞳はどこか遠くを見つめていた。けれどきっとゲイルのことだ、過ぎ去った昔を懐古しているわけではないのだろう。今日これからの、そして明日以降の酒のことでも考えているに違いない。酒場へと消えていく後姿が、そう語っていた。
 酒場に入る前にふと天を仰ぐと、吸い込まれそうなほど澄んだ青色を湛えた空が広がっていた。頭上から降り注ぐ柔らかな日差しに目を細め、額に手をかざし、無限に広がる大気の海原を覗き込む。その先にあるのはいったいなんなのだろう?
 おれはまだ、過去を振り切ることはできなかった。
 


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